佐々成政

【元ネタ】日本史
【CLASS】アーチャー
【マスター】
【真名】佐々成政
【性別】男性
【身長・体重】165cm・62kg
【属性】中立・中庸
【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷C 魔力D 幸運E 宝具B
【クラス別スキル】
単独行動:B
 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
 ランクBならば、マスターを失っても二日間現界可能。

対魔力:C
 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
 大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。

【固有スキル】
矢よけの加護:B
 飛び道具に対する防御。
 狙撃手を視界に納めている限り、どのような投擲武装だろうと肉眼で捉え、対処できる。
 ただし超遠距離からの直接攻撃は該当せず、広範囲の全体攻撃にも該当しない。

星の開拓者:D
 人類史においてターニングポイントになった英雄に与えられる特殊スキル
 冬の北アルプスを踏破するという日本登山史に残る偉業により取得した。

【宝具】
『黒母衣(くろほろ)』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人
 織田信長軍団の精鋭馬廻衆に与えられる黒い母衣。
 たとえ狙撃手に気付いていなくとも飛び道具による攻撃を完全に無効化する。
 ただし後方からの攻撃に対してしか効果はない。

『佐々鉄砲隊(さっさてっぽうたい)』
ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:1~25 最大捕捉:500人
 アーチャーが長篠の戦を初め多数の戦場で率いた鉄砲隊を召喚し、五百丁の鉄砲により一斉射撃を行う。
 一発一発の命中精度はさほど高くないが、一斉射撃の場合はそれがかえって回避を困難にしており、
 射撃を回避するのはたとえサーヴァントであっても非常に困難。
 なお鉄砲隊の現界は一度の一斉射撃が限度で、燃費はあまり良いとは言えない。
【Weapon】火縄銃・太刀

【解説】
 織田信長に仕えた戦国武将。
 その覇道を最初期から支えて来た武将の一人で、精鋭集団である黒母衣衆に抜擢されている。
 鉄砲隊を率いて多数の戦いで活躍したが、信長が死亡すると反秀吉派の一人となり、柴田勝家に援軍を送るなどした。
 その後も秀吉に敵対して徳川家康に味方するが、小牧・長久手の戦いの後秀吉と家康が和睦すると、
 家康を動かすために冬の北アルプス横断を決行、多数の死者を出しながら浜松まで辿り着くが、結局家康を動かすことはできなかった。

 ネパールで行われた聖杯戦争においてはハンニバル・バルカ、馬謖と交戦。
 誰が聖杯に相応しいかを決めるべく登山対決を行うが、雪崩に巻き込まれて揃って退場した。





【元ネタ】史実
【CLASS】アーチャー
【マスター】
【真名】佐々成政
【性別】男性
【身長・体重】165cm・61kg
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力B 耐久B+ 敏捷C 魔力E 幸運D 宝具E~A
【クラス別スキル】
対魔力:D
 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

単独行動:C
 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
 ランクCならば、マスターを失っても一日間現界可能。

【固有スキル】
黄金律:D
 身体の黄金比ではなく、人生において金銭がどれほどついて回るかの宿命。
 埋蔵金伝説を残すことができる程度。

水神の加護:C
 籠城戦で水源を求め、槍で湿気の多く含んだ場所を突いたところ
『槍之先の水湧き』と呼ばれる水源となり、後世この槍が水神と崇められるようになった逸話から。
 地下水脈の流れを感覚的に察知できる。現代においては上下水道も感知範囲。

さらさら越え:A
 厳冬の立山連峰を越え、家康に再挙を促した逸話から。
 冷気や氷雪によって受けるダメージを大幅に削減し、どれほど険しい地形であろうと踏破することを可能とする。

【宝具】
『三千世界(さんだんうち)』
ランク:E~A 種別:対軍宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:3000人
 長篠の三段撃ち。三千丁の火縄銃を展開、一斉射撃する対軍宝具。
 戦国最強の騎馬軍団を打ち破った余りにも有名なその逸話から、騎乗スキルを持つ英霊には力が増加する。
 騎乗スキルを持たない英霊にはただの火縄銃であるが、三千丁もの一斉射撃はそれだけでも脅威である。
(信憑性は低いが)『武功夜話』によれば三段撃ちを編み出したのは成政であったという。

【解説】
 戦国時代、織田家に仕えた武将・大名。
 元々は織田信安に属し、織田信長の暗殺を企んだこともあったが、
 後に信長の下で頭角を現し、剛勇名高い武将となる。
 特に鉄砲隊を率いることが多く、浅井らと戦う中で『二段撃ち』を考案した他、
 長篠で『三段撃ち』を考案したのは成政であるとする逸話(信憑性は低い)もある。

 やがて柴田勝家の与力・府中三人衆となり方々で武功を挙げるが、
 本能寺の変後、羽柴秀吉と柴田勝家の織田家主導権争いで勝家の側に立ってしまう。
(味方したのは織田信雄・徳川家康であり、柴田勝家と去就を共にしていなかったとする説もあるが)
 結果的にこの争いは秀吉の勝利に終わり、
 続く小牧・長久手の戦いも秀吉は織田信雄・徳川家康と有利な形で和睦することに成功する。

 この窮地において、成政は自ら北アルプス立山連峰を越え(さらさら越え)
 家康らに再戦の説得を行ったが功を奏さず、孤立無援となる。
 このような状況で秀吉の攻撃を凌げるはずもなく、成政は降伏を決断した。

 成政は秀吉を嫌っていたとされるが、秀吉の側は成政を高く評価しており、
(人材不足もあるが)肥後国をそっくりそのまま与えている。
 しかし、成政は難治の国である肥後国の統治に失敗し、肥後国人一揆を起こしてしまう。
 これを成政は独力で鎮圧できず、近隣の武将の助けを借りてようやく鎮圧できる始末であった。
(なお秀吉が検地を禁じていたにも関わらず、成政が検地を強行した結果、一揆を起こしたとする説は
 近年の研究で秀吉から「できるところから検地してよい」とお墨付きをもらっていたことが分かっている)

 肥後国人一揆とその鎮圧に失敗したことで、秀吉は成政を謹慎させ、後に切腹を命じた。
 その後、勝者である秀吉や犬猿の仲だった前田利家の手によって様々な悪評を捏造されたが、
 成政の実力については多くの賞賛が残されており、富山県東部では今なお忠節と善政が讃えられている。

【蛇足】
 スキル構成上、現代戦では上下水道を利用して逃げ隠れしつつ、ゲリラ戦を行うことになりそう。

  • 最終更新:2017-03-26 14:07:27

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