鍋島直茂
【元ネタ】史実
【CLASS】バーサーカー
【マスター】
【真名】鍋島直茂
【性別】男性
【身長・体重】163cm・54kg
【属性】中立・悪
【ステータス】筋力B 耐久B 敏捷C 魔力D 幸運B 宝具C
【クラス別スキル】
狂化:E
通常時は狂化の恩恵を受けない。その代わり、正常な思考力を保つ。
宝具『武士道は死狂い也(シグルイ)』の発動中はAランクに上昇する。
【固有スキル】
戦闘続行:B
戦闘から離脱する能力。
また、敗戦において自軍領地まで生きて辿り着く能力。
虎視:C
虎が獲物を狙うが如く、絶好機を逃さない眼力。
判定のクリティカル域が増加する。
ただし、通常成功の条件を満たしていない場合、クリティカルが発生してもその判定は失敗となる。
鍋島直茂は老虎の異名を取る。
計略:B
物事を思い通りに運ぶための才能。状況操作能力。
戦闘のイニシアティブ判定において常に有利な修正を得る。
【宝具】
『武士道は死に狂い也(シグルイ)』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:0 最大捕捉:1人
効果中、自身の狂化のランクを大幅に引き上げる宝具。
また、複数人を相手取っての戦いの場合、自身のACを敵人数×2だけ上昇させる。
ただし、ACの最大上昇値は+100までとする。
鍋島直茂曰く『武士道は死に狂いなり。一人の殺害を数十人してつかぬるもの』
この言葉は『葉隠』にも記述されている。
【Weapon】
『肥前忠吉』
山城伝に連なる刀工忠吉の作刀。
肥前忠吉は元は龍造寺の家臣であったが刀匠に転身し、
後に帰国して鍋島家に召し抱えられたと伝わる。
【解説】
戦国、江戸時代の武将。肥前佐賀藩の藩祖。
龍造寺氏に仕える鍋島清房の次男として生まれる。
龍造寺隆信が龍造寺家の跡取りとなると、直茂はその義弟となって躍進を支えた。
西の桶狭間とも例えられる『今山の戦い』では家中が籠城策に傾く中、積極的に夜襲案を献策。
自ら夜襲部隊を指揮して敵将を撃破し、大いに武名を高めた。
隆信との仲も当初は良く「龍造寺の仁王門」とも例えられたが、
諫言の多い直茂は次第に疎まれるようになり、筑後の国政に回された。
島津氏と行われた沖田畷の戦いで隆信が敗死すると、家中は大混乱に陥ったが
直茂は後継者となった政家を輔弼し事態を治め、
島津氏が隆信の首級の返還を提案しても突っぱねるなど強硬な態度を取った事から関心され、
有利な条件で恭順することに成功する。
一方で豊臣秀吉とも誼を通じており、九州征伐を積極的に促した。
九州征伐後は早くから秀吉に内通していた功績を評価され、龍造寺家の国政を担うように命じられている。
朝鮮出兵でも加藤清正に認められるほどの活躍を見せ、器量に劣る政家に代わって家中の指導者格となる。
秀吉没後に起こった関ヶ原の戦いでは、息子の勝茂こそ西軍に属していたものの、
早くから直茂は東軍の勝利を予想して東軍指導者の家康に兵糧を献上。
さらに勝茂も関が原本戦から離脱していたため、
九州の西軍諸将の討伐を行うのと引き換えに改易の憂き目を免れた。
この頃、龍造寺氏はほとんど鍋島家の動かすところとなっており、
政家が隠居すると、後継者となるはずの龍造寺高房は実権回復を求めて幕府に訴えかけるも、
幕府も龍造寺家中もこれを認めなかったため憤死する。
以後は龍造寺の旧臣を懐柔しながら鍋島家の基板を固めたが、
龍造寺への遠慮から初代藩主の座は息子に譲り、81歳で死去した。
一説には高房の飼っていた猫が化け猫となり、直茂を祟り殺したという。
【コメント】
知勇に優れる、割と完璧超人。
主家を簒奪した野心家か、有能なばかりに貧乏くじを引き続けた気の毒な人か判断が分かれるが、
秀吉には「天下を取るには知恵も勇気もあるが大気(野心)が足りない」と評されているし、
野心家としては龍造寺氏に対する対応の手緩さが目立つ。龍造寺一族に指導者を押し付けられたような気配もする。
(´・ω・`)「もう大名とかやめたい」という手紙も残ってるし、
流れに乗るという形ならともかく、自分から積極的に簒奪しに行けるほど野心ある人には見えない。
あと残っている逸話からドジっ子疑惑もあったりする、案外愉快な人。
- 最終更新:2016-06-18 23:02:30