織田信孝
【元ネタ】戦国時代
【CLASS】アーチャー
【マスター】
【真名】織田信孝
【性別】男性
【身長・体重】152cm・39kg
【属性】秩序・中庸
【ステータス】筋力C 耐久B 敏捷C 魔力C 幸運E 宝具B
【クラス別スキル】
対魔力:D
一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
魔力避けのアミュレット程度の対魔力。
単独行動:B
マスターからの魔力供給を断っても自立できる能力。
ランクBならば、マスターを失っても二日間は現界可能。
【固有スキル】
戦闘続行:B
往生際が悪い。
瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。
【宝具】
『割腹呪腸(むくいをまてや)』
ランク:B 種別:特攻宝具 レンジ:2~10 最大捕捉:1人
自らの命と引き換えに腹部から極大の呪詛を弾頭として発射する宝具。
宝具を発動することでアーチャーの腸は“報復”の呪詛を帯び、
腹腔を自らの手で開くことで、対象に向けて射出することが可能となる。
腸の射出後、アーチャーは消滅する。
【weapon】
『鎬藤四郎』
父信長から贈られた脇差し。吉光の作刀。凌藤四郎、伊勢藤四郎とも。
後に豊臣秀吉、伊達政宗などの手に渡った後、徳川家光に献上されたという。
『大鉄砲』
大口径の小銃式の火器。あまりにも重く、両手で持つことから抱え大筒とも。
攻城戦、船戦に多く用いられたという。射程距離は約1㎞だが、命中率は低い。
【解説】
織田信長の三男。神戸具盛に養子入りしていたことから神戸信孝とも。
容貌はもっとも父信長に似ており
その器量も「思慮あり、緒人に対して礼儀正しく、また大なる勇士である」「智勇人に超えたり」と絶賛されている。
養子入りした神戸家を継いだ後は神戸検地、楽市楽座、伝馬制など領地経営に励み、
また各地の戦場にも軍を率いて参戦して織田家の躍進を支えた。
天正10年(1582年)には四国攻めの総司令官に任命されたが、出陣の前に本能寺の変が勃発。
織田信長の死を聞いた信孝の配下は殆どが離散し、一族である津田信澄を明智光秀に内通したとして殺害するなど精彩を欠く。
羽柴秀吉と合流した後は、総大将として明智光秀を相手に仇討ち合戦を挑み、勝利するが、
清州会議では秀吉に主導権を握られ、織田家当主の座はまだ幼い三法師の手に渡ってしまう。
以後は秀吉との対立関係を深めていくが、
後の天下人である秀吉とはあまりに器量が違ったのか、
一度は奇襲を受けて降伏を余儀なくされ、柴田勝家の動きに合わせた二度目の挙兵も敵わず降伏。
大御堂寺で自害を命ぜられた際には
「昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」と恨みの篭った辞世の句を読んで切腹した。
この際、腸を掴み出して掛け軸に投げつけたとされ、その血の跡は今なお掛け軸に残っているという。
適正クラスはアーチャー、バーサーカー、アヴェンジャー。
【コメント】
ビーダマン系アーチャー。
腸を憎き相手にシュー! 超エキサイティン!
- 最終更新:2017-01-31 19:00:36