榊原康政
【元ネタ】史実
【CLASS】キャスター
【マスター】
【真名】榊原康政
【性別】男性
【身長・体重】173cm・62kg
【属性】混沌・善
【ステータス】筋力C 耐久B 敏捷C 魔力D 幸運C 宝具C
【クラス別スキル】
陣地作成:E
魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。
小規模な”結界”の形成が可能。
道具作成:E
魔術的な道具を作成する技能。
効果の伴わない贋作ならばいくらか作り出せる。
【固有スキル】
戦闘続行:D
粘り強い。
軍が壊滅的ダメージを受けても生還することができる。
軍略:B
一対一の戦闘ではなく、多人数を動員した戦場における戦術的直感力。
自らの対軍宝具の行使や、逆に相手の対軍宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。
話術:B
言論にて人を動かせる才。
挑発を得意とし、陽動作戦などでは多大な効果を発揮する。
【宝具】
『挑発の立札』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:-
小牧・長久手の戦いでの逸話の具現。
任意の対象に対して挑発行為を行う。
成功すれば相手の冷静な判断力を奪える。
対魔力で多少は抵抗可能。
【Weapon】
『無銘・日本刀』
【解説】
戦国時代の武将。徳川氏の家臣。
徳川四天王・十六神将・徳川三傑に数えられ、現在も家康覇業の功臣として顕彰されている。
小牧・長久手の戦いで秀吉の甥・秀次の軍勢をほぼ壊滅に追い込み、森長可、池田恒興を討ち死にさせた。
また江戸時代に成立した『藩翰譜』によれば、康政は秀吉の織田家の乗っ取りを非難する檄文を書いたという。
激怒した秀吉は康政の首に10万石の賞金をかけたと言われるが、康政は羽黒の戦いでも戦功を挙げた。
もっともこれによって秀吉の注意を引き、家康と秀吉が和睦すると京都への使者に立てられる。
関ヶ原の戦いにおいては、主力の徳川秀忠軍に軍監として従軍し、中山道を辿り美濃を目指すが、
信濃上田城の真田昌幸に足止めされ、秀忠とともに合戦に遅参する。
1606年、館林にて病没。享年59歳であった。
隊旗には「無」の一字を配した。
本多忠勝とは同年齢であったことから仲が良く、親友関係にあったという。
康政は武勇では忠勝に劣るが、部隊の指揮官としての能力は忠勝に勝り井伊直政に匹敵するとされている。
死去する際、家康の武功派に対する冷遇振りに対して不満を抱いていたことから、
家康が派遣した見舞いの使者に対して、「わしは腸が腐って死ぬと大御所(家康)様に申し上げろ」と言い捨てたとされている。
本来は武功派家臣だが忠勝と同期なせいで完全に空気化してしまい、死に際に家康へ暴言を吐く口の悪い頭脳派として有名に。
非常に短気で、理不尽なことにはすぐブチ切れて暴れるが自分の失態などはしっかりと認める度量のある人物。
あとすごい達筆。
- 最終更新:2011-09-10 20:09:06