島津豊久

【元ネタ】史実
【CLASS】セイバー
【マスター】
【真名】島津豊久(しまづ とよひさ)
【性別】男性
【身長・体重】180cm・74kg
【属性】中立・善
【ステータス】筋力C 耐久C 敏捷B 魔力E 幸運D 宝具D
【クラス別スキル】
対魔力:C
 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
 大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。

騎乗:C
 騎乗の才能。大抵の乗り物、動物なら人並み以上に乗りこなせるが、
 野獣ランクの獣は乗りこなせない。

【固有スキル】
勇猛:B
 威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
 また、格闘ダメージを向上させる効果もある。

戦闘続行:B
 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。

【宝具】
『島津の退き口(しまづののきくち)』
ランク:D 種別:対軍宝具 レンジ:1~20 最大捕捉:50人
 前方の敵を突破して退却した逸話の具現。
 戦闘行動中、豊久の形勢が不利になり、逃走行動に入った際、
 豊久の全ての攻撃行動に、『突破』の概念が宿り、
 相手の防御行動に対して、防壁突破の判定が発生する。
 判定に成功し、相手の防御を貫いた際、その突破力が逃走速度へと変換され、
 その後の逃走行動に有利な補正が掛かる。
 この補正は、豊久のみならず味方にも与えられる。

【Weapon】
『無銘・刀』

【解説】
島津氏と竜造寺氏の決戦となった沖田畷の戦いにて初陣を飾る。この時14歳。
父の死後、家督を継いで日向佐土原城主となって各地を転戦する等、父親似の猛将の片鱗を見せる。
関ヶ原では、父の死後、息子同様に接してくれた島津義弘と行動を共にするも、兵数の少なさから戦力として見てもらえず、墨俣城攻略戦では前線に取り残され、夜襲は「田舎戦法」と石田三成に嘲笑されて採用されず、島津義弘よりも腹を立てていたと言われている。
関ヶ原の趨勢が決し、島津豊久の所属する西軍の敗北が確定的になった時、玉砕を覚悟した島津義弘を説得し、前方の敵を突破して退却すると言う世界の戦史上例を見ない戦術を慣行するにあたって、島津豊久は島津義弘の身代わりとなって追撃してくる徳川軍の前に立ちふさがった。
井伊直政、本多忠勝ら徳川家の名将達を相手に死力を尽くして奮戦し、井伊直政を撃退した島津豊久だったが、全身に無数の矢を受け、体中を切りつけられて見事な立ち往生を遂げた。






【元ネタ】史実
【CLASS】セイバー
 【マスター】バゼット=フラガ=マクレミッツ
  【真名】島津 豊久
  【性別】男
  【身長】175cm
  【体重】68kg
  【属性】秩序・中庸
【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷B 魔力D 幸運C 宝具B
【能力】
対魔力:D
一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

騎乗:D
騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み程度に乗りこなせる。

【保有S】
戦闘続行:A
凄まじいまでの戦闘本能。刀折れ矢が尽きようとも立ち往生するまで戦い続ける。
瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。

勇猛:B
威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を大幅に削減させる能力。
また、格闘ダメージを向上させる効果もある。

【宝具】
島津之捨奸候(骸も染みて、猩々緋の御楯)
ランク:B 種別:結界宝具 レンジ:4 最大補足:1‐1000人
セイバー最期の切り札、最期の最後に敷く背水の陣。島津義弘より授かった、猩々緋の陣羽織を旗
印に掲げる決闘の陣。その陣を一度敷けばセイバーは決して敗走を許されない。そしてこの陣を見
た者は、迂回や退却は決して許されず単体で挑まねばならなくなる。効果時間はセイバーが消滅す
るまで続く、いわば足止めに特化した結界陣地。関ヶ原の戦いにおいて敵陣を中央突破するという
前代未聞の退却戦、"島津の退き口"において殿を務め、徳川四天王、井伊直政と福島正則、本多忠
勝の三大軍を相手にして一歩も引かず、島津義弘ら島津勢を無事退却させたというセイバーのエピ
ソードが、宝具にまで昇華したもの。セイバーはその時、叔父の島津義弘の身代わりとなって、彼
の猩々緋の陣羽織を纏っていたといわれる。

【weapon】
薩摩拵
日本刀の拵えの一つ、薩摩で実戦用の拵えとして考案された。特徴としては柄頭が大きく柄は内反り
で長くて太く、鮫皮の代わりに厚手の牛皮の包みにして、目貫は据えない。鍔は小さめで鞘止め用の
孔が二つ開けてあり、鞘には独特な形状の返角がついている。薩摩発祥の剣術、示現流や薬丸自顕流
に適している。


【特記事項】
戦国武将 島津豊久。沖田畷の戦いに初陣し、このときに敵一人を討ち取った。その翌月14日に、肥後国
にて元服を果たす。父の家久は島津義久や島津義弘の弟に当たり、島津氏が豊臣秀吉に降伏した年に没
した。父の後を継いで日向佐土原城の城主となる。豊臣秀吉に従い小田原の役や朝鮮出兵など各地を転戦。
秀吉の死後、庄内の乱に出陣し武功を上げる。年関ヶ原の戦いが起こると伯父の義弘と共に西軍として参陣
するも、戦いが東軍優位となり、義弘が敵陣中央突破による退却を決意したとき、義弘の身代わりとなって
討死した。その時相手となった前面の敵は、赤備えで鳴る徳川四天王の一人 井伊直政。さらに途中からは
福島正則と本多忠勝も加わってきた。つまり東軍最強の軍団三つを向こうに回したのである。ちなみにこの
時に受けた傷がもとで、井伊直政は二年後に死んでいる。
鉄砲隊を有効に使い、仲間の死体を盾にして鬼神のごとく戦い続けたが、多勢に無勢のため全身に無数の矢
を射立てられてもなお戦い続け、見事な立ち往生を遂げた。その死体は東軍の兵たちになますのように切り
刻まれたという。

【特記妄想】
誇り高き戦闘民族 薩摩人の模範とも言うべき漢。情に厚く忠義も厚いが、薩摩人の常識は少々我々と
違うので扱いにはかなり注意が必要。出身地と島津を馬鹿にすると首もがれる。

イメージは、まんまドリフのアレ「首置いてけ!! 首置いてけ!! 首ば、置いてけぇ~~~!!」
触媒は烏頭坂で豊久が自刃したときに用いた小太刀。


  • 最終更新:2011-03-22 11:42:55

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